BJパーマーはそれまでの質が悪いカイロプラクティックを、科学機器を取り入れることで質の良いカイロプラクティックへと改良していきました。
その改良(フルモデルチェンジ)モデルがHIOカイロプラクティックです。
ただ、このHIOカイロプラクティックもカイロプラクティックの理想からは程遠いモデルで60点程度しかありませんでした。
DDパーマーのカイロプラクティックを30点だとすると、BJパーマーのカイロプラクティックは60点です。
BJパーマーもカイロプラクティックの目標であるサブラクセーションのアジャストはできていませんでした。
それほどサブラクセーションのアジャストは難しかったのです。
しかしBJパーマーもサブラクセーションはアジャストしていると思っていました。
この間違いが、正しい道を拒んだのです。
BJパーマーの問題点は後継者選び?
BJパーマーはスクールを息子に継がせたのですが、それがよくなかったのです。彼の息子はカイロプラクティックに医学を導入し、法律の支配を受けるように改変させてしました。
この改変によって、カイロプラクティックは独立分野ではなくなったのです。
ただでさえカイロプラクティックは分裂状態で、DDパーマーの哲学に忠実なカイロプラクティックは経済、信用、法律などで不利な状態にあったのです。
それがこの改変によって、独立分野の完全に消滅したのです。