もし、国の管理、維持を放棄すれば、国はすぐに分裂や他国に支配されます。
そのようなことが起こらないように、中華の皇帝は、他国が侵略しないように万里の長城を建設したり、諸侯が反乱しないように監視してきたのです。
さらに後継者も慎重に選ばなければなりません。後継者選びに失敗すると、その後継者が国を崩壊させるかもしれないからです。
このようにトップは国を維持するために、様々な仕事が待っているのです。この仕事がうまくいかなかった皇帝は国を分裂させ、他国に乗っ取られた歴史があります。
国の建国者とカイロプラクティックの創始者は内容は違えど同じ仕事!
DDパーマーはカイロプラクティックを創設したのですが、彼が構築したモデルは質、組織システム共に悪かったのです。
そのためカイロプラクティックはすぐに分裂して、後に医学や整骨院などの他療法に乗っ取られてしまいました。
だから今のカイロプラクティックは医学の授業を受け、医療免許を持たなくてはいけないし、日本では整骨院が脊柱療法の一部と称してカイロプラクティックを名乗っています。
つまり今のカイロプラクティックは独立分野ではなくなったのです。
これはDDパーマーが望んだ世界でしょうか?
モデル不良とシステム不良
「理想と現実」という言葉があるように、DDパーマーの理想は素晴らしかったが、実際のモデルは悪かったのです。
DDパーマーが構築したカイロプラクティックはサブラクセーションのアジャストでなく、実態は質の悪い脊柱療法でしかありませんでした。
しかしDDパーマーはこの試作品レベルをカイロプラクティックと名づけ、これがサブラクセーションのアジャストだと生徒に教えました。
そのため、DDパーマーの理想がカイロプラクティックになったのではなく、質の悪い脊柱療法がカイロプラクティックとして認知されたのです。
しかも、この質の悪い脊柱療法は経済的にうまくいったので、この質の悪い脊柱療法が世間に浸透するようになったのです。
生徒を統率できなかったDDパーマー
生徒たちに好き勝手にやらせれば、彼らは暴走して意図しないカイロプラクティックを構築します。
生徒を放置すればカイロプラクティックが分裂するのは当然です。
そのためDDパーマーは生徒たちが身勝手な手法や思想を持たないような組織形態を構築しなければいけませんでした。
しかし、できませんでした。
なぜなら、それまでDDパーマーは療法を一度も構築したことがなかったからです。要するに彼は療法構築の素人だったのです。