その時代に応じて、トップにふさわしい人物は変わります。
カイロプラクティックの創設期はDDパーマーがトップにふさわしい人でした。初期に科学的な人間や論理的な人間はトップにふさわしくありません。
なぜなら論理も科学もなかったからです。
初期に必要なのはカリスマ性、情熱、強い思い込み、そういったものが必要な時代でした。
DDパーマーの後、トップがBJパーマーに引き継がれましたが、これも理想的な展開でした。彼は情熱もありながら、科学的で論理的でもあったからです。まさに、これからのトップにふさわしい人物でした。
世代交代の失敗(3代目の愚策)
しかし次で世代交代に失敗してしまいます。
次のトップに立ったBJの息子は、医学の授業を取り入れ、今までのカイロプラクティックを一変させました。この行為は医学の傘下に入ることです。ようするに身売りです。
ここから
DDパーマーのカイロプラクティックではなく、
医療としてのカイロプラクティックになったのです。
中華で例えれば、秦が滅亡し元になったのです。始皇帝から(北から攻めてきた)チンギス・〇ーンが太祖になったのです。
なぜこんなことが起きたかというと
カイロプラクティックには憲法も法律もないからです。
医学を禁じる強制力がなかったのです。
BJパーマーの息子は最もカイロプラクティックに優れた人物だったでしょうか?もっと適切な人物を選ぶことができたのではないでしょうか?
息子だからといってトップを任せると、取り返しのつかないことになってしまう事例です。
BJパーマーの最大の失敗は継承者選びの失敗です
療法戦争に負けたカイロプラクティックは準医療化させられました。
カイロプラクターは医学の授業を取り入れ、今までの言語を捨て、医学語を母国語にしました。
独立療法から医学傘下の療法に格下げになったのです。
今のカイロプラクティックは医学旗の星の一つです。
・医学を学ぶべき!
・医療免許を取得しないといけない!
準医療化して以降、そう主張をする人物がカイロプラクティックの指導者として選ばれるようになったのです。
DDパーマ& BJパーマーなら絶対に反対するはずです。
現代のモンスター療法
医学は絶対的な療法の支配者です!
経済力、政治力、信用力
カイロプラクターが喉から手が出るほど欲しいものばかりです。
ただし、それを受け取ると、独立分野のカイロプラクティックが生きていけなくなるのです。
カイロプラクティックは大事なものを世代交代で失ったのです。